言葉の「意味」について。

発生生物学の講義を受けているとき、聞きなれない連語を耳にした。

生物というのは案外プラスチックなもので、少々のことがあっても治るものです

日本語において”プラスチック”という言葉はかなり人工的なニュアンスを想起させ、”生物”との組み合わせには違和感がある。plastic(英)の基本的な意味は”可塑的”であり、人工的という意味は含まれていないにもかかわらずに、である。
cf.ギリシャ語の”形作ることができる”という言葉を基にしておりplaster(石膏)と同語源。
私たちがプラスチックと聞いてまず想像するものは石油から造られる人工的な樹脂の姿のはずだ。
どうやら英語自体でも現在では少なくとも俗用としてplasticという単語に人工的(≒artificial)という意味があるらしい。
科学の世界では日常的に(共通語としての)英語が使用されているために、日本人の先生であったがプラスチックという言葉に可塑的という感覚が備わっているのだろうか。

このように使用される中で意味の変わった言葉は多数あるし、特に外国語がカタカナ語として導入される中で元の意味から変容したものは非常に多い。
言葉は有機的なものであり、何らかの意図を付与されて使用されることの繰り返しで意味をもっていく。
英文学の教授は現代文とは多数決で解釈を決める行為でしかないといっていた。
そうであるのならば、ある言葉の「意味」とは何であろうか。
私たちは言葉を使って誰かに「自分の意図」を言葉にして伝えることができているといえるのだろうか。