スマートフォンはとても便利な道具である。
ほとんどの用事が四角の板一枚で済んでしまう。
だが、”ほとんどの用事”にはよい使い方も悪い使い方も混在している。
大半のデータがデジタル化できるようになり、情報の管理がとても楽になった。私は今この文章をデジタルなテキストで書いているし、授業のノートもテキストに起こしやすいものはテキスト形式てとるようにしている。手で書くよりも早くて可読性が高く、さらには検索や整理が容易にできる。
対してあらゆるデータをデジタル化してインターネットに接続することで、世の中には必要以上に情報があふれる「洪水」が起きている。LINEやtwitterなどのSNS(twitterは正確にはSNSではないが)における他人との常時のつながりや新規イベントが続々と追加されるソーシャルゲームに追われている人が大勢存在するようになっている。
本題。
そのようなわけで大学のような諸々の教育機関ではIT教育の重要性を説く一方で生徒が学習の間にスマートフォンを使用することを目の敵にするような軽い矛盾した状態が続いている。
私の通う京都大学でもいくつかの授業ではスマートフォン・パソコンの使用が禁止されている。MicrosoftはOneNoteを大学のノートに使うことを推奨していることなどから、もはやパソコンを中心とした情報機器は紙とペンとおなじくらいに学習のための主要ツールであるとわたしはとらえているが、なかなか同意を得ることはむずかしいようである。学生の友人からも「パソコンを使って何をしているのか」と聞かれることがある。
情報機器は自由な器であり、それらを用いて何をするかは使用者にゆだねられているが、それらの使い方について共通のリテラシーが存在するように思う。「パソコンを活用する」「スマホを活用する」という、それだけでは何にもならないはずの基礎技術を実際になにかの用事をこなすときに同時に学び始めるのはかなり根気の要する難しいことである。現に非デジタルネイティブ世代(現在の40代後半以上)がパソコンの有効活用を謳いながら使いこなせていない光景は用意に居合わせることができるだろう。だからこそ大学の講義のように比較的時間がありながら課題が与えられる環境で情報機器の活用法を学ぶことは非常に重要ではないだろうか、と私は想う。