Society5.0での生活

技術の発展、特には情報化の進行によって社会が大きく変化を遂げている。その中では”Society5.0″、すなわち現在の情報社会の次となる新しい社会構造が到来するともいわれているが、この社会の変革の中ではおそらく「生きる」ことの意味が変化する。
狩猟社会から農耕社会の変化にともなう定住化によって集団が固定化され、社会の中で生きる必要が生まれた。農耕社会から工業社会の変化によって高度に分化した専門家集団の関わりによる企業体を中心とした社会が生まれた。工業社会から情報社会の変化にともなって物理・現実空間の外に平行した社会が生まれ、地域性が少しずつ薄れていった。
社会の変化は必ず生活の変化を伴う。これは同義反復的な自明のものである。ではSociety5.0では生活はどのように変わるのだろうか。

私は資本主義の変化の中に鍵があるのではないかと思う。
予想される未来の一つは現在のまま富の寡占が過度に進み勝者と敗者が不可逆的なほどに分断される社会である。H.G.ウェルズの小説「タイムマシン」では社会の完全な分断が長時間続き、人類という種そのものが二つに分裂する未来が描かれたが、資本主義の特性である寡占化(ピケティが示している)が進むのならば分断は決定的なものとなるだろう。プラットフォーマーとなる管理者側の人間とただ搾取され生存するだけの単純労働者に分かれてしまうのかもしれない。
もう一つの未来が技術の発展が人間が自由に生活できる基盤を持続的に維持するに至り、社会的弱者が人類の中に存在しなくなる未来である。落合陽一がデジタルネイチャーで書いているたりなどする、AIの発達などにより人間の手を借りずに社会の基礎は運営され私たちはベーシックインカム元で自由な生活を謳歌できるのではないかという予想である。

私たちはどのように新しい社会に適応していくのだろうか。
みなさんはどう思いますか。